大阪の四条畷市と大東市に隣接する寝屋川市に英会話教室を開いていますが、開校よりもっともっと前の話です。
学生時代にまでさかのぼりますが、初めてアメリカに行った時のこと、あるアメリカ人家庭にお世話になりました。
そこにはご夫婦とお子さん4人が同居していました。
18歳の男の子、16歳の女の子、14歳の男の子そして12歳の女の子でしたが、
この14歳の男の子と12歳の女の子がなかなか手ごわく、と言ってもこの子たちの話す英語を聞き取るのに四苦八苦、
悪戦苦闘したということです。
容赦なく浴びせかける英語は速さだけでなく、
スラングやリエゾン(発音の変化、発音が連続して別の単語とくっついて別の言葉に聞こえる)が満載されていて、
とてもじゃないけどついて行けない、という情けない状況でした。
この子たちは冗談でMasaichi (私の名前)is turkey. とかMasaichi is moron.(モーラン) などと言うのですが、
その当時は「あほ、バカ」といえば“foolish”、” stupid” ぐらいしか知らず、初めは何のことかわかりませんでした。
ただ、褒められているのではないなとは感じていました。
しばらくして意味が分かってからも別に腹が立つわけでも、不快になることもなく、「へえー、こんな言葉があるんだ。」と感心したものです。
しかし、そうこうしているうちにどうしても聞きたくない言葉が出てきました。
この二人は遠い所から来た日本人にそれなりに配慮というか、気遣いのようなものを払ってくれていたと思います。
ある意味辛抱強いとも言えるかもしれません。
私がこの子たちの言ったことがわからず、”Pardon”「もう一度言って」というと繰り返してくれます。
しかし、早口で話すし、表現も易しい言葉に置き換えることもなく、この点では全く配慮がなく、容赦してくれないのです。
それでまたもや”Pardon”と言わざるを得なくなります。しかし、やはりロボットのように同じ口調で繰り返してくれるのです。
何と優しく、親切なお子さんたちでしょうか? しかし、まだわからない。
何とか聞き取りたいと思い、もう一度勇気を出して、”Pardon” というと、ついにこの子たちは言うのです。
”Never mind”
辞書によると、「心配しないで」とか「大丈夫」と訳されているのですが、
彼らの”Never mind”は「もうわからなかったらいいよ」とか「いい加減にしたら」と言っているのです。
この言葉は”turkey”や”moron”よりはるかに私にはきつく、いわば私を谷底に突き落とすようなものです。
この子たちは飼っている犬に話しかけますが、犬はこの子たちの言う事がわかっているらしいのです。
つまり、私は犬より聞きとれないことになります。
その一方で、この”Never mind”は私を奮起させる言葉でもあったのです。