英語は感覚でわかればいい?
先日、「日本人が書いたり、話したりする英語を見聞きしたときに、
何か妙だなと、感じることがあるのですが、それはおかしなことですか」
と聞かれました。さて、皆さんはどう思われますか。
学生のころ、スキーによく行ったものです。
あるとき雪国育ちの友達とスキーに行きました。
水を得た魚のように優雅に、時には力強く滑降する友を見て、
こんな風に滑れたらと思ったものです。
それで、その友達に滑り方を教えてほしいとお願いしたところ、
「それは無理だよ」とあっさり断られました。
そんなことを言わずに何とか教えて、と頼みましたが、やはりだめでした。
彼によると、小さいころからあまりにも自然に滑っているので、
どうやって滑るかなんて考えたことがない、というのが教ることができない理由でした。
その一方で、スキー教室に入校すると、インストラクターが手取り足取り、細かく教えてくれます。
もちろん、インストラクターの滑りも素晴らしいものです。
では、雪国育ちの友達は教えることができないのでスキーの技術がインストラクターより劣るということでしょうか。
一概にそうとは言えませんね。
以前にも何度か登場するインターナショナルスクールに通う少女、今や中学1年生になりましたが、
誰かが英語を話したりしたときに、その間違いが即座に分かります。
とはいえ、なぜ間違っているかを文法的に説明することはできません。
つまり、何かが違っている、違和感がある、
ネイテイブはそのようには言わない、ということになります。
私たち日本人が外国の方が話す日本語を聞いて、その間違いがわかっていても
文法的に説明しにくいのと似ているかもしれません。
TOEICのテストなどはスピードが関係しますので、
頭の中でいちいち文法的なことを考えていては間に合いません。
特に、1番の問題などは違和感のあるものを消去して解答していく必要があるかと思います。
雪国育ちの友のように理由をあまり考えずに問題を解く方が良いかもしれませんね。
しかし、教えることを職業にしているなら、当然順序立てた論理的な説明が出来る事が求められます。
スキーのインストラクターのようにです。
ですから、正確な知識に基づいた上で、より研ぎ澄まされた感覚で英語に触れることができれば
それは素晴らしいことだと思います。
逆に、知識不足のためにいわゆる感に頼るなら、偶然正し所に導かれたとしても
それはあくまでもカンに過ぎないということになるでしょうか。
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